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コンセプト

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弊社では、有田焼の伝統技法を現代のライフスタイルに合うようにREMIXし、有田焼を後世へと伝えていくことが我々の使命だと考えております。

ARITA PORCELAIN LABのモダンでシンプルな食器は業務用食器として既に高い評価を受けており、実際に飲食店用食器としてだけでなく、有名メーカー・ブランドにも多数納品させていただいております。

また、インテリアとも非常に良くマッチする飽きのこないデザインですので、普段のライフスタイルに合わせて使用するだけでなく、ギフトやプレゼント、引き出物としてもオススメできる和食器となっております。



弥左エ門窯の由来

GOLD IMARI
GOLD IMARI
銘々皿 巻物四君子
銘々皿 巻物四君子
徳利 盃 古伊万里草花紋
徳利 盃 古伊万里草花紋
初代松本弥左エ門は、文化年間(1804年)肥前有田皿山の上幸平で窯焼を始め、以来七代200年間、松本家は営々として有田皿山の伝統様式である古伊万里様式の磁器製造販売に研鑽を重ね明治以降久しく途絶えていた古伊万里の貿易復活に見事成功をおさめました。

アメリカ、ヨーロッパ各地はもとより、広くアフリカ、中近東に至るまで、弥左エ門窯の裏印であるゴールドイマリが高く評価され、又国内でも古伊万里様式の美術工芸品を作る窯として、近年益々その声価を挙げてきました。

優美にして華麗な伝統美を彩る有田焼の弥左エ門窯にご愛顧賜りますようお願い申し上げます。


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明治伊万里復刻プロジェクト

明治伊万里復刻プロジェクト

明治伊万里復刻プロジェクト

時は、日本近代の黎明期、明治時代中頃のこと。世界に冠たる陶磁器が存在していたことは、あまり知られていない事実です。当時ヨーロッパでは、ジャポニズムが人気を博し、浮世絵をはじめ日本の伝統工芸品が有力な輸出品として、明治政府の殖産興業と外貨獲得に大きく貢献していました。とくに、優美で精巧な陶磁器は、ドイツのマイセン、フランスのセーブルをも凌ぐ高い評価を獲得。その中でも、当時の世界大博覧会で欧米人を最も喜ばせたのが、和と洋の意匠が独創的な明治中期の有田焼、すなわち「明治伊万里」です。
有田焼は、絵文様や形式から、大きく「古伊万里」「柿右衛門」「色鍋島」に分類されます。世に言う「古伊万里」とは、主に江戸時代の末期頃までに作られた有田焼のうち、「柿右衛門」様式と「色鍋島」様式を除いたすべての焼き物を指す一般的な呼称です。その「古伊万里」をはじめとした有田の陶磁器は、17世紀半ばから18世紀初頭にかけて、欧州へおよそ100万個から200万個が輸出され、金銀財宝以上に珍重されました。


明治政府は、17世紀の「古伊万里」輸出黄金時代のように、「明治伊万里」が欧米全土を席巻することを目論見ました。その役割を担ったのが、明治12年(1879年)に設立された「精磁会社」なのです。

明治伊万里復刻プロジェクト

明治伊万里復刻プロジェクト

明治政府が国を挙げて輸出奨励をする中、明治12年(1879年)、有田の地に大望を抱いた陶工たちによって「精磁会社」が誕生しました。「精」という字には「こころ」「たましい」の意味もあり、精妙・精緻で魂のこもった物作りを目指す心意気が込められています。その名の通り、「精磁会社」の製品は、明治16年(1883年)、オランダ・アムステルダム万国博覧会で金賞を獲得。さらに同年に建設された鹿鳴館では、「精磁会社」の洋食器が夜毎の饗宴を彩り、各国要人をして驚嘆せしめました。


卓越した伝統技術と欧米の最先端技術を融合し、「古伊万里」でも、「柿右衛門」でも「色鍋島」でもない、独自の世界を紡いだ「精磁会社の明治伊万里」。まさに和魂洋才の様式美の頂点が、皇室御用食器であり、鹿鳴館饗宴の器でした。 しかし、この「精磁会社」は、数少ない名品を後世に遺し、伝統的な職人技術とともに、わずか十有余年で消滅。人々の記憶の中からも忘れ去られてしまったのです。

明治伊万里復刻プロジェクト

明治伊万里復刻プロジェクト
平成28年(2016年)、有田焼の歴史は、発祥400年を迎えます。本プロジェクトは、「精磁会社」の復刻にあたり、その歴史を尋ね、先人たちの知恵に学び、失われつつある伝統の技術を取り戻すべく、高い志を掲げた製陶会社と陶工たちが結集。次世代に向けて、熟練した職人技の継承と、品位ある新たな高付加価値製品の創出を目的に、進化と挑戦を続けています。

例えば、製土は「有田泉山の磁土」にこだわりました。江戸期の古伊万里、柿右衛門、色鍋島はもとより、明治30年頃までは「精磁会社」や有田全体の窯元も泉山の磁土を使用するなど、いわば有田焼の原点ともいえるものです。
さらに、「精磁会社」の精緻を極めた絵付け技術を再現するため、総手描きとすること。第一級の画工たちが日々研鑚を積み、本歌の品位と風格に限りなく近づけるよう努力しています。

 

精磁会社はその作品の素晴らしさと裏腹に悲劇の会社です。精磁会社の歴史を調べると、その短命さが単なる感傷を超えて明治前期の日本の近代化の象徴的な光と影を見せてくれます。
私が初めて精磁会社の事を知ったのは、私の大叔父松本源次の著書有田陶業側面史を読んでからです。この本は私の曾祖父である松本静二(五代弥左エ門)の生涯に添って有田の陶業界の歴史を書いた本です。精磁会社の中心人物の一人である川原忠次郎は静二の叔父であり、子の無かった忠次郎は実の子のように静二をかわいがっていたと聞きます。その静二が弥左エ門窯を復興し、当社の前進である有田物産合資会社を設立し現在に至ります。『幻の明治伊万里-悲劇の精磁会社』の著者である蒲池孝典氏に精磁会社の復刻を一緒のやらないかと誘われたれとき、私は精磁会社復刻に関わる事が出来る事に、運命と使命を感じました。蒲池氏も大叔父の著書を読まれて精磁会社に興味を持ち、実際精磁会社の製品を収集される中で、そのすばらしさに感銘を受け出版に至ったと聞きました。
有田窯業界はかつて精磁会社が目指した窯業技術の近代化を成し遂げ、その後高度成長期は隆盛を極めたわけですが、皮肉にもその事が手作業による熟練の技を徐々に廃れさせていく結果を生み、またその後の長期間の景気の低迷のため人員整理、廃業、熟練工の高齢化、新しい人材が確保出来ないなど苦しい状態が続き、今まさに練達の技術が失われようとしています。

10年後には有田焼の歴史は400年を迎えます。次の100年も有田焼を残し伝えていくためには、失われた技術を取戻し、それを基に有田焼を更に進化させる事が絶対に必要です。誇りある日本文化を次世代へ継承していくためにも、この復刻プロジェクトを大いに推進していきたいと考えております。
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