左から デイビッド・ブーレーシェフ、サンタフーズ森山氏、辻与製陶所 辻さとし君、私

今回のイベントは、以前から付き合いのある、辻調理専門学校の小柴先生が、二人のNORIさん「杉江のりゆき」氏(シェフ)、「都筑のりゆき」氏(プロモーター)を有田に連れてこられた事から始まりました。

小柴先生

小柴先生

左から 都筑氏、杉江シェフ

二人のNORIさんは、有田にも佐賀にも全く縁もゆかりもないのに、有田焼とその歴史と文化、佐賀の食材の美味しさにいたく感動され、この佐賀の食材と有田焼を世界に発信したい、そしてこの有田町に世界中からセレブが訪れる町にしたいと意気投合したところからこの企画が始まりました。
そして、実際にNYの地で、有田焼に一流のシェフが佐賀の食材を使って料理し、お客さんも一流のシェフ。そして一流のシェフが絶賛し、一流店で使っていただく。そして、その一流店に食事に来ているセレブのお客様も絶賛し、口コミで有田焼の良さが広がっていく。そして、有田に佐賀に行きたいというセレブが増えて、世界中から有田に大勢のセレブが訪れるというかなり暴走気味の身勝手なストリーを作り、それを実現したいと盛り上がりこの企画の実現にむけて、以前から新商品開発を共同で行っている窯元3社(アートヒルズ、文八工房、辻与製陶所)と、佐賀市で飲食店を経営されているサンタフーズの森山さん、そして大分の竹屋さん「竹人」山下工芸さんに声をかけスタートしました。
アートヒルズ http://homepage3.nifty.com/arthills/index.htm
辻与製陶所  http://www.yozan-kiln.com/
文八工房  http://www.bunpachi.com/
サンタフーズ http://www.sagabai.com/area/detail.php?area=1&cat1=2&id=286
山下工芸 http://www.takebito.com/

そして、NYでの会場を小柴先生にアドバイスを受けたところ、辻調理専門学校さんが、NYのスターシェフ「デービッド・ブーレイ」氏とコラボレイトしている事もあり、「デービッド・ブーレイ」氏のテストキッチンを借りる事ができるようになりました。そして、「デービッド・ブーレイ」氏もこのイベントに興味を持っていただき、本人も料理をしたいと言っていただき、更に辻調理専門学校さんからも料理人を出していただく事になり、マンダリンオリエンタルNYでエグゼクティブシェフも務めた事のあるスターシェフ「NORI」、NYのスターシェフ「デービッド・ブーレイ」氏、そして日本最大の料理学校である辻調理専門学校この3者と我々の有田焼と、佐賀の食材のコラボレイトディナーが実現する事になりました。

デイビット・ブーレー氏。レストラン「ブーレー」は1990年代にNYタイムズ紙で最高の4つ星と、『ザガット』ニューヨーク版の最高評価を維持し続け、一躍有名シェフに。作る料理は”フュージョン・キュイジーヌ”と呼ばれ、日本料理も積極的に取り入れる。

杉江礼行氏。マンダリン・オリエンタル ニューヨークのフレンチ・ジャパニーズ「Asiate」のエグゼクティブシェフを務めた。現在はコンサルタント。

辻調理専門学校の先生(両脇)

イベントのコンセプトは、「伝統」と「最先端」
全ての事柄は過去があり、現在があり、未来があります。伝統的な「IMARI」と新しい「IMARI」、伝統的な「和食」と革新的な「フレンチ」、伝統的な物と新しいものの繋がりが体験できるようなイベントにしたいと企画しました。

 17日は、マスコミ中心の立食パーティー、19日は、我々の器を使った7品の本格的ディナーです


2/17(水)のメディアや流通業者向け立食パーティーでは、前方に各窯元の展示スペース、奥に有田焼を使ったテーブルコーディネイトを展示しました。

ドリンクは、野菜カクテルでNYで有名なミクソロジスト、山本幻氏にお頼みしました。
→FreshfruitMartini.com http://www.foodrink.co.jp/backnumber/200907/090731.php


トマトと焼酎のカクテル、大根と焼酎のカクテル、しょうがと焼酎のカクテル等、今まで飲んだことのないとても日本らしい美味しいカクテルを作っていただきました。器はもちろん有田焼です。

料理は、有田の郷土料理である「ごどうふ」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%94%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%B5や、海老せんべい
焼鳥等、これも有田焼の器を使ってのおもてなしです。

2月18日のディナーのメニューです


1品目はブーレー氏が作りました。佐賀から持ってきたホワイトアスパラガスと日本から持ってきたひらめ、黒トリュフのフランとお酒は東一純米吟醸(佐賀のお酒)

2品目は辻調理専門学校さんで、ゆりの球根とえびの吸物 お酒は東一純米吟醸
器は、辻調理専門学校さんのサジェスチョンで作った持ちやすいように両脇に耳の付いた蓋物2種(モダン、クラシック)とNORIさんの作ったWHITE BEENシリーズと名づけられた多用鉢。この器はろうそくの灯り(NYは飲食店の灯りがそうとう暗い)での陰影を楽しむため、豆を押し付けたようなボコボコが表面にあります。そして、これも辻調理専門学校さんのサジェスチョンで作られたマンハッタンの絵柄を想像して染付けで描いた鉢(この器を作った辻与製陶所の辻君はNY初めて)

3品目はつくね、ゆず胡椒、バラフ むぎ焼酎のんのこ NORIさんが作りました。
バラフは佐賀大学が開発した野菜です。http://www.barafu.jp/ 器はNORIさんのオリジナルで串が斜めにささっていい感じです。

4品目はかき、だいこんの煮付けにむぎ焼酎のんのこ。辻調理専門学校さんの担当です。


のんのこは有田の宗政酒造http://www.nonnoko.com/で作られている麦焼酎。今回30本も協賛いただきました。宗政酒造さんは有田ポーセリンパークを運営されています。
器は伝統的な染付の器(辻与製陶所)と、WHITE BEENシリーズの蓋物、そして楕円のモダンな黒の鉢(アートヒルズ)です

5品目は黒豚トンカツ からし明太子にワイン NORI氏作。そして私の弟のお嫁さんの実家。有田の鯉料理屋さん「流水亭」の自家製「赤ゆず胡椒」が添えられました。
器は、黒の角の台皿、土物にプラチナが乗った焼皿(両アートヒルズ)、とうちの黒土のスレート皿そして、明治伊万里の皿(1個約5万円!!)

6品目は佐賀県に協賛いただいた佐賀牛 ブーレー作
器は、有田焼の伝統的柄をモチーフにモダンに絵描いた皿と、その基になった伝統的絵皿。そして、辻君が作った、ダイヤモンドのカットのようなモダンでゴージャスな器

7品目はデザート ブーレー作
器は、これまた辻君の作った「ふぶき」シリーズ、とアートヒルズさんの青白磁の器

 

使用した食器たち

使用した食器たち

今回の、一番の成果は、デービッドブーレイ本人と、NYでの販売をやっていただくKORIN川野社長http://korin.com/site/home.htmlの気持ちに火をつける事ができた事です。当初、両者ともかなりビジネスライクだったのですが、器を見た時に目の色が変りだし、ディナーが終わったあとは、本当に久しぶりに感動したと言ってもらえた事です。特にKORIN川野社長は、ディナーが進むうちに自分が焼物を商売として扱うようになった原点を久しぶりに思い出させてくれたと言っていただきました。そして、スピーチを聞き今回の器が「弥左エ門窯」の作品だとわかって、運命を感じたそうです。なぜなら、40年前自分が中学3年生のときどうしても欲しいお皿があり、2万5千円もしたそうですが、おこづかいをはたいて初めて買った器が「弥左エ門窯」の器であったそうです。そしてそのお皿はNYにも持こられ、今現在でも普段使いで使ってるそうです。次の日、その器を見せていただきました。

商売とは、人と人の繋がりを作る事から始まるという事を、このNYの地であらためて実感いたしました。日本にいても、海外でもそれは同じ事だと思います。本気になって、好きになってくれる人が1人でもできた事が、とても嬉しかったし、その1人が本当に第一歩で、それが2人になり、10人になり100人になり、1,000人になる。そのような事が本当に大事なんだなあと実感しました。

自由の女神におそわれる辻君

自由の女神におそわれる辻君

タイムズスクエアでいばっている私

タイムズスクエアでいばっている私

ブーレーのスタッフがyou tubeにアップした映像

 http://www.youtube.com/watch?v=grPQpsIdAy4

フードリンク記事

1話 http://www.foodrink.co.jp/backnumber/201002/100223-3.php

2話 http://www.foodrink.co.jp/backnumber/201002/100224-3.php

3話 http://www.foodrink.co.jp/backnumber/201002/100225-3.php

 

ドバイに行ってきました。


以前、ブログでも紹介した、シリアのお客さんが今ドバイに住んでるからです。


写真左がお客さんでカリム・アワー君(37歳、私と同い年です)右が有田で貿易の仕事されている古賀さんです。
じいさんと彼のお父さんからの付き合いでかれこれ50年以上の取引をしています。


輸出している商品はずーっと、このどんぶりです。直径27cmもあります。
2年前彼のお父さんが亡くなられ、会社も整理されたそうですが、うちとの取引自体は彼が引き継がれてます。
現在、彼自身は、ドバイでアブダビの王族系の建築会社のドバイ支社長をしています。
ドバイはアラブ首長国連邦(UAE)にあります。
UAEはアブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジュマン、ウンムアルカイワイン、フジャイラ、ラスアルハイマの7つの首長国から構成されています。
 ドバイの面積は4,114平方キロメートル、埼玉県より少し大きいくらいです。UAEの国土の約8割はアブダビが占め、ドバイは国土・人口ともにUAEの首長国の中で2番目に大きく、20世紀初頭からUAEの重要な貿易商業地となっています。
 メリルリンチの『世界の富裕層に関する報告書』によると、2007年のUAEに在住するミリオネア(100万ドル以上の資産を持つ人)は79,000人でした。UAEに住む58人に1人がミリオネアということになります。BRICsに住む各国のミリオネアの数は、中国415,000人、インド123,000人、ロシア136,000人、ブラジル143,000人であり、全人口数に対するミリオネアの割合は、UAEが群を抜いて高いことが分かります。
ドバイが発展した背景には、地理的な優位性があります。ヨーロッパ、ロシア、CIS諸国、アフリカ東海岸、南アジアからアクセスしやすい場所に位置し、世界の物流拠点となるにはうってつけなのです。そもそも、UAEは古くから海上貿易の中心地域であり、活発な貿易が行われていました。20世紀には商業活動を重視した政策を行い、自由貿易港として関税を撤廃することで各国の真珠商人が集まるようになり、交易地として発展しました。
 ドバイがオイルマネーの恩恵を受けるようになったのは、初めて石油が産出された1966年以降です。これより前は、前述の通り、天然真珠の採取や漁業などを営んで暮らしていました。ただ、主要な産業であった真珠産業は、養殖真珠が普及したことによって衰退してしまいました。
 1966年に海上油田が発見されてから、将来、石油が枯渇することを見越して、早くから石油に頼らない経済体制を確立しようとしました。油田発見後、水道や電力、通信などの基本的なインフラを整備し、1980年代にはフリー・ゾーンと呼ばれる自由貿易地域により、世界中から外国企業を誘致することに成功しました。1990年代には観光都市として世界に名を広め、現在では国際金融都市へ成長するための準備を着々と進めています

中東は2度目なんですが(前回はシリア、カリムとは10年ぶりの再会)、中東のイメージが180度変りました。ドバイは本当にインターナショナルシティです。カリムの会社のスタッフは、イラク、パキスタン、インド等様々な国の人が働いていています。言葉は全部、英語です。カリム自身もフランスの大学でMBAを取得しており、何ヶ国語も話す事ができます。彼は、宗教戦争や政治による権力争いにうんざりしていて、ドバイに住む事にしたと言ってました。彼のスタッフのイラク人はイラクに帰ったら殺されると言ってました。中東の人達も我々と同じで、大多数の人は平和的で戦争にうんざりしているのをとても感じました。それと戦争というのは宗教を理由にしていても本当はただの権力や金の争いである事を彼らとの話しの中で感じました。ドバイのような安全で普通にビジネスが出来る都市がもっとたくさん出来てくれば中東も平和になるのかなあと感じました。
夜ごはんは、カリムに1日目がドバイモールの近くのホテル?、2日目がパームアイランドにあるアトランティス・ザ・パームに連れていってくれました。


 ドバイモールは世界最大級のショッピングモールで、1200店舗のほか、ゴールドスーク(金市場)、250室の豪華ホテル、屋内水族館、五輪規格のスケートリンク、22の映画館、120のレストラン・カフェが入ってます。ドバイモール横のホテルで食事をし、水タバコをふかし、(写真は水タバコを吸う私)、近くに立っている約700メートルという世界一の高さに達している建設中の超高層ビル「ブルジュ・ドバイ」を眺め、ドバイモールへ連れて行ってもらいました。とにかく広く、中にある巨大な水族館に驚き、あまりのスケールのでかさに驚きました。


しかし、2日めの夜はもっと驚く事になります。ヤシの木を模した、世界で最も大きな人口島郡であるパーム・アイランドのアトランティス・ザ・パームHP http://www.atlantisthepalm.com/promotions.aspx 動画 http://www.youtube.com/user/atlantisresort#play/uploads に連れて行ってもらったからです。動画を見ていただくとその訳の分からんすごさが分かっていただけると思います。城?みたいです。広大な敷地をもつアトランティス・ザ・パームには、22階建て1539室を有するドバイ最大級のホテル、海外の日本食シーンを変えた『NOBU』など世界トップクラスのレストラン17軒、高級ブランドブティック23軒、世界各国のトリートメントが堪能できるスパ、イルカと遊べる『ドルフィン・ベイ』、落差 27.5mのスライダーを有する水のテーマパーク『アクアベンチャー』、250種65000匹以上の海洋生物とともに海中体験できる『ザ・ロスト・チャンバーズ』『ザ・アンバサダー・ラグーン』などがあり、大人から子供まで楽しめるエンターテインメントが盛りだくさんのホテルリゾートとなっています。またまた、中に巨大な水族館があり(中東の人は水族館がすきなのか??)そこのレストランで食事をし、庭で水タバコを楽しみました。2日間ともカリムにおごっていただきました。感謝。

                     水タバコを楽しんだ庭
という事で、中東にかぶれてしまった私は、ドバイに進出し、ドバイから中東中に攻める事をカリムと語り合い日本に帰ってきました。ぜひ実現したいです。

横浜山手の7つの西洋館が、世界各国のトップフラワーアーティストによって華やかに彩られた、横浜開港150周年のイベント「Re:レトロ山手」〜世界のトップフラワーアーティストによる花の饗宴〜で、西洋館の一つ「ベーリックホール」にて、当社の精磁会社復刻製品の展示が行われました。http://www.hanatoutsuwa.net/about.html


総合プロデューサーは前谷 裕一氏http://www.andone.jp/


同時に横浜そごうでも前谷さんのプロデュースで展示、販売が行われました。
有田以外での、正式なお披露目は今回が始めてという事もあり、お客様の反応が気になるとこでしたが、非常に良い反応をいただき、手ごたえを感じる事ができました。

今陶器市の真最中です。陶器市期間は自宅も陶器市売場に様変わりします。写真が自宅のお店に変った様子です。商品はLABの物では無く、精磁会社復刻製品と弥左エ門窯商品を展示販売しています。残り2日がんばります。

前も書きましたが、実は僕のいとこはお笑いやってます。
「ザブングル」といって「カッチカチやぞ」という加藤君の相方の松尾陽介http://blog.watanabepro.co.jp/matsuoyosuke/index.htmlっていうのが僕のいとこです。それで今度「なんでも鑑定団」にゲストで出るらしく、うちにあるお宝を出してくれ、という事で「井手金作」作のテーブルを出す事にしました。昨日陶器市の真最中でしたがスタッフの方が千葉から車で取りにこられました。ご苦労様です。

井手金作とは明治時代、大物づくりの名工と謳われた人です。陶山神社に奉納されている大水甕(中ノ原地区奉納)は、大物づくりの名工と謳われた井手金作が小山直次郎と合作した逸品で、絵付けは川浪喜作が施しています。現在、これほど大きな水甕をロクロでひける者はいないとも言われています。川浪喜作とは個人として「マルギ」の指定を受けていたほどの卓越した技術を持った優秀な絵付師です。うちのテーブルも川浪喜作が絵付をしていればなかなかいい値がつくのではないかと思うのですが・・・鑑定はいかに?

井手金作
慶応2年(1866)1月15日生まれ。宵越しの金は持たぬ性格で、職人仲間のつけたあだ名が華の金作。金があると武雄温泉の花町に繰り出し、帰りは人力車を奮発する。金作が30歳のころ、人力車の武雄~有田間の料金は平日が30残。雨が降ったりすると二倍近くにはね上がりました。日雇い賃金の全国平均が20銭前後のころです。そんな金作がロクロに向かったとたん鬼になる。大火鉢を一日に50も60も引いて息一つ乱さない。腕前のほどは「有田町史」陶芸編図版の「染付鳳凰唐草文テーブル」(九州陶磁文化館蔵〉や陶山神社に奉納されている大水甕が見せてくれます。亡くなったのは昭和8年。68歳でした。

「マルギ」とは
戦時中は様々な物資の不足などから、その製造や販売が国の統制下に置かれることになります。昭和15年(1940年)には、陶磁器製品もその影響を受けることとなり、流通価格の規定を受けることとなります。そうした物資不足・人手不足といった厳しい環境の中、伝統的技術が失われていくのを恐れ、「マルゲイ」・「マルギ」と呼ばれる指定を受けた業者や個人作家が統制下とは別に、国の保護下に置かれることになります。
「マルゲイ」は芸術品、「マルギ」は芸術品と日用品の間にあるもの。つまり工芸品のような存在で、業者・作家を指定し、価格統制から外しその維持育成のため資材調達の便宜や保護策が行われるようになります。有田では「香蘭社」・「柿右衛門窯」・「今右衛門窯」・「深川製磁」・「川浪喜作」・「満松惣市」の4団体・2個人が「マルギ」の指定を受けていました。

4月8日~4月21日まで、福岡の百貨店、岩田屋で当社の製品を展示販売していただいています。店員さんによると評判もいいとの事でほっとしています。

福岡のイムズで「オートクチュールの花屋」で有名な東信さんの作品の展示があってたので見に行ってきました。非常に斬新な作品で、刺激を受けました。http://www.azumamakoto.com/


夜は、山崎養世さんの講演会に出席しました。http://www.yamazaki-online.jp/about/index.html
山崎さんは1994年にゴールドマン・サックス投信株式会社代表取締役社長に就任。
その後2002年にシンクタンク山崎養世事務所を設立され持論の高速道路無料化が第43回衆議院議員総選挙における民主党のマニフェストに採用され菅直人を首班とする次の内閣国土交通大臣に任命されている方です。
現在の石油の時代が終わり、太陽光を使った電気エネルギーの時代が来るという話を中心に太陽がエネルギーの中心になれば、地球全体の資源格差が無くなり、都市一極集中の必要が無くなり地方都市の時代が来る。特に福岡を中心とする九州北部はアジアの主要都市とも近く、アジアの中心的都市になる可能性があるといった話でした。話を聞いて薪から始まり、石炭、重油、ガスと変ってきた窯の燃料が今後どうなっていくのか不安を感じる一方、先人達も時代の変化に常に対応してきたからこそ有田焼の歴史は400年続いているのだと先人達の苦労を実感しました。
そして、日本の誇る伝統産業の産地として、有田焼の役割は更に重要になると感じました。
講演会終わって偶然講演会で会った食器を使ってもらっている飲食店(JOLT、ハートブレイクショット)のオーナーさんのお店で飲んで帰りました。
JOLT http://www.hotpepper.jp/A_20100/strJ000729717.html

ハートブレイクショット http://www.hotpepper.jp/A_20100/strJ000677556.html?vos=nhppvccp99002

先日、工場でBBQをやりました。天気予報では雨と風がひどいという事だったので心配していましが無事やる事ができました。どこかお店に行って宴会してもよかったのですが、工場でやれば皆さんも来やすいしお金もあまりかからないので。当日は食べて飲んで、職人さん達の結束が固まったのではないかと思います。おざっしょや材料やお酒の持込みとかも結構あったので1人200円ですみました。

2月17日~2月22日まで、幻の明治伊万里-『精磁会社』展を九州陶磁文化館で開催いたしました。十七世紀初頭にはじまった有田焼は、絵模様や形式から、大きく「古伊万里」「柿右衛門」「色鍋島」の三つの様式に分類されます。この様式にあてはまらない、もうひとつの有田焼が日本近代の黎明期、明治時代の中頃に存在していたことは、あまり知られていません。卓越した有田焼の伝統技術と欧米の最先端技術を融合し、「古伊万里」でも、「柿右衛門」でも、「色鍋島」でもない、独自に紡ぎ出された世界ー和魂洋才の様式美の頂点が「明治伊万里」です。和と洋の意匠が織りなす独創的な優美さと筆致の精巧さで、欧米人を魅了し、明治政府の殖産興業と外貨獲得に大きく貢献しました。その「明治伊万里」の中心を担ったのは、明治12年(1879年)に設立された「精磁会社」でした。しかし、この「精磁会社」は、数少ない名品を後世に遺し、わずか十有余年で消滅したのです。我々は、有田焼発祥400年を迎えるにあたり、その歴史を尋ね、先人たちの知恵に学び、失われつつある伝統技術を取り戻すべく『精磁会社』の名品の復刻に取組みました。精緻を極めた絵付け技術を再現するため、日々研鑽を積み、本歌の品位と風格に限りなく近づける努力をしました。また製土は、有田焼の原点ともいえる「有田泉山の磁土」にこだわりました。この度の展示では、新たな高付加価値製品の創出を目指した三年半に及ぶ挑戦と進化の成果を本歌(本物)とともにご紹介しました。我々がやりたかった事は、ただ本歌を忠実に復刻する事では無く、この復刻に挑戦する事によって技術を若い職人さん達に伝承する事であり、そのため今回の展示は係った人達の顔の見える展示にこだわりました。この展示会は思っていたよりも反響が大きく、期間中は2,000名以上の来場者があり、非常に嬉しく思いました。九州陶磁文化館の方によると、この来場者数は陶器市の期間中よりも多いそうで、苦労は多かったですが我々が取り組んできた事に自信がもてました。


色絵紅葉青海波文ディナーセット
このディナーセットは、量産と品質向上のため、フランスから製陶機械導入をはかった精磁会社晩年の製品です。社長・手塚亀之助の長子、国一が販売不振挽回のために渡米して、市場調査の上、製品開発したものではないかと窺わせる、伝統美をモダンにデザイン化したものであり、この時代を代表する近代陶磁器の先駆的図案と言っても過言ではありません。写実性をたたえた紅葉のあしらいとモダンな色使い。青海波文様の端正な意匠には伝統的な墨はじき技法を駆使しています。染付の氷裂梅花文様は精磁会社らしい念の入りようです。

上 復刻品によるテーブルセッティング


色絵流水梅文透菊花耳付花瓶  香蘭社製(年木庵喜三製) 明治8~12年 
華やかさと新奇さが美的に結実した明治伊万里の傑作の一つです。底部内に金彩で蘭のマークと「喜三製」の銘があるため、精磁会社を明治12年に設立した深海墨之助・竹治兄弟が香蘭社時代に作ったものと分かります。
古伊万里の時代には無かったモダンな器形であります。足部が極端に細く作られており、焼成時に倒れてしまわないための高度な成形技術と焼成の工夫がいります。
花瓶の首部には、様々な形の窓に各種の花文が描かれています。口部内側の松竹唐草文と胴部の赤地白梅文を合わせると、松竹梅がそろいます。足部の細密な地文も見事であります。

左 本歌  右 復刻品

色絵雲龍文耳付三足花瓶

本歌は明治9年(1876年)、アメリカ独立100年記念のフィラデルフィア万博に出品された花瓶。成型は中国の古銅に想を得たと思われます。主題の雲龍文様は日本画を磁器の球面体に見事にアレンジしています。
高台裏の銘款には「年木庵喜三」とあり、幕末から明治初期にかけて、稀代の名工と謳われた深海平左衛門喜三に由来します。彼の息子である墨之助と竹治兄弟は幼少の頃より焼き物作りだけでなく、茶道や漢画を学ばされるなど英才教育を施され、兄弟で誉れ高い「年木庵喜三」の銘款を引き継ぎ、有田の名門として香蘭社設立に参画しました。その後明治12年、名工兄弟は香蘭社から袂を分かち、手塚亀之助らとともに精磁会社を設立しました。
9世紀後期欧州におけるジャポニスムの流行から、格調高い日本美術の真価が問われた頃、その期待にいち早く応えたのが有田の深海一門でした。形状、運筆、色使い、今までに見られなかった精妙精緻な完成度の高い製品を産み、その成果は明治9年(1876年)、アメリカのフィラデルフィアの万国博覧会で、フランスのセーブル始め欧州の名窯に勝るとも劣らぬ評価を受け、金賞を受賞したのです。
これはその際出品された花瓶の復刻版です。本歌に倣う技術で、復刻においても上絵窯に何回も入れ、困難である繊細な筆致、微妙な色絵の発色も生地になじむことで味わい深いものとなっています。それぞれよく克服して本歌に肉薄した仕上がりといえます。

前 本歌  後 復刻品


左  色絵撫子文蓋物  精磁会社製  明治中期   前 本歌  後 復刻品
古伊万里調の色使いで、撫子の文様が全面に描かれています。蓋の中央にはデザイン化された撫子文が配置され、それを三方から撫子の葉文が取り囲みます。葉文は染付で描かれた藍色の部分と、金彩や赤で描かれた部分からなり、その対比が濃密で豪華な雰囲気を出しています。

右  色絵赤濃蝶文台皿(コンポート) 精磁会社製  明治中期  前 本歌  後 復刻品
台皿はロクロで別々に成形した台部と皿部を生乾きの時に接合して作ります。皿の画面は、中心から放射状に8等分し、赤地と白地の文様を交互に配したコントラストが美しいです。赤地には蝶や花文が見られるが、文様を先に描いた後、地を赤の絵の具で塗り込めるという手間のかかる表現であります。

右  色絵春秋文獅子耳付小花瓶  精磁会社製 明治中期  前 本歌  後 復刻品
高さ13cmの小さな花瓶であります、気品と華やかさを感じさせます。両肩には獅子形の耳が付きます。胴部の前と後ろには桜花と紅葉が描かれ、春と秋を表します。紅葉の文様は藍色の染付と、緑・金・紫の色絵で彩られ、色の配置や余白のとり方など細かいところまで配慮されています。

左  色絵犬紅葉文小花瓶  精磁会社製 明治中期  前 本歌  後 復刻品
胴部二面に子犬と箒、紅葉が描かれています。散り落ちる紅葉を箒で掃く時に、子犬がじゃれ遊ぶさまを描いた楽しい図柄であります。主文様に合わせて、口部下には赤と金で紅葉文が描かれています。足部には染付で古典的な蓮弁文が巡っており、古伊万里の雰囲気と明治の新しい図柄が調和しています。

後 色絵捻割地紋唐草文鉢  復刻品
捻り割独特の動きがある構図の中で、雅楽の装束を思わせる文様の配置や細やかな線描きの金彩、地紋と呉須の藍色との取り合わせが美しい調和を奏でている中鉢です。精磁会社の精妙且つ風格ある典型的な輸出向けの製品と思われ、欧米ではおそらく、ワインクーラーやパンチボールなど実用品として供されたでしょう。近年、米国より里帰りしたものを復刻したものです。

色絵竹文ディナーセット
これらの復刻した洋食器群は、明治15年ボストンのアーサー・フレンチ商会が有田に招かれて指導し、精磁会社に作らせた本邦初の本格ディナーセットを見本にしたものです。「錦竹ニ雀ノ画デンネル(ディナーの意)セット」とフレンチ形陶器目録(有田町歴史民俗資料館蔵・百田家文書)に記録が残る、これらのディナーセットは、西洋化を推進する明治政府が建てた鹿鳴館で使用されただけでなく、欧米に輸出され貴重な外貨獲得に貢献しました。17世紀以降世界を席巻した有田焼の最高の技とセンスを集積し、「和魂洋才」を具現する完成度の高い逸品です。

九州陶磁文化館、個人蔵の精磁会社製品

全て弥左エ門窯の食器を使用していただいた、「雅」に行ってきました。http://r.gnavi.co.jp/g005300/custom1.htm

店内の装飾品も弥左エ門窯の掛軸や飾皿を使用していただいていて、うちの展示場みたいです。


お店は全て個室で1日に1部屋1客しか取らないそうで、ゆっくり時間を過ごすことが出来そうです。
全ての料理がうちの食器に盛られているのは、ちょっと感動してしまいました。料理もとても美味しかったです。

店長の山本さんがとても感じのいい方で、いろいろ珍しい日本酒や、焼酎を勧めてくれて酒好きの私にはとても嬉しかったです。

特に出羽桜酒造の「枯山水」http://www.dewazakura.co.jp/shohin/karesansui2008.htmはうまかった。

山本店長、また行きますね!!

若手の社会人デザイナーを対象に、デザイナーとしての資質と能力のさらなる向上を目的としてNPO法人・FUKUOKAデザインリーグが主催する「福岡デザイン塾」。第6回になる今回の福岡デザイン塾は「域」というテーマで開催され、その講師になぜか選ばれて「JAPAN BRANDの可能性」という題目で講義してきました。かなり緊張しました。
前もって、受講生には、
「有田焼が生き残るためには?」
有田窯業界は江戸時代、ヨーロッパへの輸出等により隆盛し、明治時代、窯業技術の近代化を成し遂げ、その後高度成長期はまた隆盛を極めたわけですが、皮肉にもその事が手作業による熟練の技を徐々に廃れさせていく結果を生み、またその後の長期間の景気の低迷のため人員整理、廃業、熟練工の高齢化、新しい人材が確保出来ないなど苦しい状態が続き、今まさに練達の技術が失われようとしています。昔ながらの物は、lifestyleの変化についていく事ができずに段々売上は減少する一方です。ここ十年で有田焼の出荷総額は1/10まで減少しました。この現状を変革する事ははたして可能なのでしょうか?デザインに関わる塾生の皆さんの、それぞれの「域」で、有田という「域」の問題を解決する仕組みを自分なりの方法でプレゼンテーションしてください。

という事で宿題を出しての講義でして、講義というよりも、デザイナーの方達から逆にアイデアがいただければという気持ちで臨みました。実際、様々なアイデアが出て来て非常にためになった一日でした。こういった機会を与えていただいたNPO法人・FUKUOKAデザインリーグの皆様方どうもありがとうございました。

講義の内容はこちらに詳しく紹介していますので、興味のある方は御覧下さい。
http://www.f-designjuku.net/archives/532

フィンランド

| 日記 | | 5 件のコメント

フィンランドの陶芸家(中小の陶器工房経営者)17名の方達が、日本の窯元を訪ねる視察旅行で有田にいらっしゃいました。萩、唐津、有田、沖縄と回られるそうです。HPを見られて、伝統的な有田焼だけでなく、モダンタイプのデザインも開発されている窯元の話も聞けると、北欧のモダンデザインに精通する参加者たちとの共通点も多く、更なる交流がはかれるのではないかという事でたずねてこられました。ありがたい事です。当日は、ちょうどウータン祭http://www.u-tan.jp/もやってたので、そちらに案内し、泉山、大銀杏、を通ってうちのshopにご案内しました。非常によろこんでいただいて、なんだか嬉しかったです。その後、近所のひとふしラーメンで、ちゃんぽんorラーメンを食べていただき、九州陶磁文化館へ。そこでも非常に喜んでいただきました。その後、うちの工場に案内し工場内の見学、そして宿泊先の唐津に帰っていかれました。フィンランドの人達は、性格が日本人と似ていてシャイで無口でした。僕も無口なので、お互いしゃべらない時間があっても気にしない感じです。